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【古の記憶】-act9-

2008.03.28
【古の記憶】-act9-

100年ほどの時を、ミストは老人と共に過ごしていた。
世捨て人となっていた老人との生活は他の介入はほとんど無に等しく、穏やかなもので、時を忘れたこの場所に訪れていたゼンという男も、とうに年老い、黄泉へと旅立ち、現在庵を訪れるのはその孫に当たる男。
当然の事ながら、仙人と言われる老人の長命───それに、彼は確実に年を重ねているようだった───に比べ、全く年をとらないミストに、奇異の目が向けられないはずもなく。
10年以上経過する頃には、老人はミストを隠すようになっていた。



───カチャン。
食器を置く音に、ミストはふと顔を上げる。
老人の器には、まだ食事がほとんど手をつけられないまま残されたままだった。

「老師?」

「すまんの。ちぃと食欲が湧かん。わしは先に休むでの。変わりに村へ使いにいってはもらえんか?」

「・・・僕が?」

それは、初めての事だった。
老人の憔悴した様子も、ミストが村へ降りるのも。
わずかに不安そうな表情を見せるミストに、老人は力なく笑う。

「何。人の姿さえとれば、襲われることはあるまいて。ちぃと手紙を届けてほしくての。急ぎの用事じゃて、クラウドが来るのを待っていては間に合わんのじゃ。ついでに薬を買うて来てくれるかの。」

枯れ枝のような手を、ミストの頭に乗せる。
細く皺だらけの手。その手から、わずかに漂ってくる死臭の様な匂いに、ミストは、妙な感情を覚える。
それは、恐怖の様で、胸が鷲掴みにされるような、重苦しい感情。

『───死?』

ミストは、こくりとうなづいた。
初めて、誰かの為に、何かをしたいと思った瞬間だった。
自分が村に行き、薬を持ってくれば。
老人は元気になるかもしれない。

「うん。僕、いって来る。」

ミストの言葉に、老人は優しく目を細めた。

「では、頼んだよ。霧の嬢ちゃん」

名を与えた後も、老人はミストをこう呼んだ。
いつもはそれと同時にやさしくなでる指は、今日は頭の上に乗せられたまま。
それがやけにミストを不安にさせた。
小さな袋に入れられた金を受け取ると、ミストは老人を一度振り返る。

「いってきます。老師。すぐに戻るから。」

それだけ言うと、ミストは風の様に駆け出した。
長い長い下り坂を、人の足を使い、駆け下りていく。

村は、穏やかだった。
ミストを見て、不思議そうな顔をする村人達。
すくみそうになる足を、何とか前へと進ませて、ミストは使いを果たす。

用件が済むと、またミストは駆け出した。




───老人は、日に日に弱っていくようだった。
床に伏せたまま起き上がることもなく、一日の大半を寝てすごしている。

食事や、買い物などは、皆ミストがこなす様になり、それも大分慣れてきた頃。

「老師。お使い、してき・・・た。」

いつもの様に買出しに出かけたミストが戻ってくると、その日は様子が違っていた。

茜色に染まる窓辺のベッドで眠る老師から、お帰りの言葉はなく、眠ったままだ。
その空間だけ、まるで完全に時が止まったかの様な光景。

ミストは、足音を立てないように、そっと老人に近づいてみる。
───眠っているかの様だった。
いつもと同じ、皺だらけの顔。落ち窪んだ瞼。
長い白髪。夕日で照らされた顔。

「老師・・・・?」

声をかけてみる。
返事は、無い。
そっと、指を伸ばして触れてみる。

「老師?お使い、行ってきました・・・。老師───」

びくり。

触れた手を思わず引く。

ひやりと冷たい、死の温度。
老人の閉じられた目は、もう開くことは無い。
やさしい指が、髪に触れることは無い。
あの楽しげな笑いも、皮肉も、もう、聞くことは無い。

バサ、と手に持っていた荷物が床に落ちた。
ぺたりとその場に腰を落とす。

夕日はゆっくりと山の向こうへと落ちていき、やがて部屋の中に夜の帳が下りても。
ミストは、まるで目覚めを待つかのように。
老人の傍らに座り込んで、じっと老人を眺めていた。





───手についた土を、叩き落とす。
朝日が昇ってきた。山の頂の、崖に面した場所へ。
ミストは、老人を一人で埋めた。
小さな手で土を掘り、冷たい老人の体を地面の下に横たえる。
今にも起き上がって冗談じゃよとカラカラ笑い出しそうな姿に、表情のない目のままで土をかぶせて
山のようになった埋めただけの墓に、老人の杖を刺す。

泥だらけの顔を、じっとその墓へ向け、どれくらいの時をそうしていただろう。
そっと一度手を合わせ、目を伏せる。
湧き上がる感情が、この時のミストにはまだ理解することは出来なかった。ただ、重苦しい痛みが、胸の奥に刺さるのを感じていた。

一筋、涙がはらりと零れ落ち、それを不思議そうにぬぐって。ミストは、顔を上げる。

「老師。・・・僕、行きます。今までありがとうございました。・・・さようなら。」

行くあてなどどこにも無かった。
けれど、老人のいない庵にとどまる気にはなれなかった。

親しくなってきた村人達も、やがて年をとらない自分に畏怖の念を抱くようになるのは、時間の問題だろう。

人の輪に混じり、人のふりをして生きることは、ためらわれた。


数歩、ゆっくりと後ずさる。

村が目覚めるのは、もうわずか後。
ふわりと霧に体が散ると、それは幼い竜の姿をとった。

選んだのは、人と生きることよりも、竜としてひっそり生きることだった。

ヴァサ、と翼を羽ばたかせると、竜は悲しげな咆哮を1つ上げ、大空へと舞った。
2度、3度。くるりと旋回をした竜は、やがて朝日を背に、飛び立っていった。

───この時はまだ、物陰からこっそりと見守る視線に、
気づくことは  出来なかった。───



to be continued・・・・・


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